ホストと友だちになりたい

久々にあみゅーるに行って萌えが充填された!HPが回復したような気持ち。あむちゃんはいつ見ても顔が小さくてヤバイ。今日のチェキは割と顔の長さがピエール瀧じゃなくなったのでよかったな…

解説すると、わたしは顎の化身なので笑うと顎が伸びるんだけど、あむちゃんとチェキ撮るときいつも嬉しくて満面の笑みになって顔がピエール瀧になってしまうという話です

 

このところお金がなかったからあんまりすすきのを歩いてなかったんだけど(?)、やっぱりすすきのってええなあと思った。みんな擦れてる感じがいいよね。

"ホストに声をかけられるのが至上の喜び"思想がまだ抜けなくてラフィラ前を無駄にうろうろしたんだけど、ホストの人垣が怖すぎて虚空を見つめながら歩いてたので、誰も近寄ってこなかった。みんな品定めしながら歩いている感じが怖い。別にかわいい女に声をかけている訳じゃないとは思うんだけど。

「ホストは行けないけどこっそり松屋行きませんか?」って言ったら誰か来てくれたりしないかなあ、アフターで松屋行きたい…ホストの友だち欲しい…人生を聞きたい…

 

そういえば今日青いエクステを復活させたんだけど、さりげなさすぎて自分では全然見えないもののいい感じっぽくてよかった。いや、でもやっぱ見えへん。色落ちに期待。しかし髪も縛れて派手な色も入れられるのは本当に嬉しい!巻けば見えるみたいなので、卒業式は頑張って巻こうかな…おかあさんに頼もうかな…

派手髪でも縛れば見えないということは仕事も田舎も臆せず行けるということで本当に嬉しい。ヤッター!稼ぐぞ!

 

なんかでもほんと、家で働くのは人と関わらなくていいからそういう意味では楽だけど、求められる技術は外での仕事よりもよっぽど高いというか…正確には求められる技術が高いというよりかは、長年書いてきた文章の『手癖』みたいなものがずっと抜けなくてうまく書けないんだと思う。あと応用力が足りないよね。もっと相手の求めるものを見極めて+αを付け加えていかなあかんなと思う。

 

あと、普段簡潔さばかり気にしていると日々書いているブログもなんとなく簡潔さを意識してしまうので、書いててちょっと疲れる。読みやすさに繋がってるならいいんだけど、長ったらしいのもあたしの文章だろ!という気持ちがあるので、それが失われるのはなんとなくさみしい。

個性を表すための道具として文章を使ってきたのに、無個性で"らしさ"が出ない文を書かされていることが気に食わないんだろうか。延々とコラムを書き続ける仕事なら無限にできるのになあ…まあ、単純に今やることが多すぎるのが原因だと思う。

 

今月は外での仕事がたくさんあるはずだから、今の案件が終わったらしばらくはセーブするつもり。もしそんなに納期取れませんって言われたら断ろう…どうしてもライター一本だと出来高制なのでお金ほしくてやりすぎちゃうし、質も下がってしまう。一度すべてリセットするくらいの気持ちで生活を落ち着かせて、一つ一つに真剣に取り組める環境を作らないと。金銭にかまけてオーバーワークな現状をおざなりにしてはいけない。

広告収入はしんどそうだから手を出してなかったけど、いっそ不労所得を目指した方がいいのかもなあ。悩ましい。

 

話変わるけど、他人の文章を読んでいてこれっぽっちも理解できないときがたまにあって、そういうとき、わたしの理解力がないのか相手の表現が悪いのかわからなくなる。もっと感受性の高い人ならあれらを読み取れるのかもしれないけど、単に主語が足りてない雑な文章というだけのような気もする。Twitterの怒り狂う人々とかは他人に対して「それは悪だ!!!」とバチバチに叩くけど、「あれ?変じゃない?それとも、自分がおかしいのかな?」と1mmも考えないのって逆にすごくないか、とおれは思う。自信満々に叩けるのはやはり、自信がないとできないというか…自信がないからこそ「自分が正しい」を表明するのかもしれないけど。

 

文章に限った話ではなく、日常においても相手の発言に対して「それっておかしくない?でもめっちゃ強く言ってくるし相手も毅然としてるからそれが正しいのかな……」と思って困惑しつつなんとなく合わせることがあって、これらは結局

・自分の能力や意見に自信がない

・誤ったことの言い出しっぺになって責任をとりたくないから黙って従っておこう

の合わせ技だと思うんだけど、よくないことだよな〜と思っている。もっと意見の表明をしないとだめだよな~。

 

あと「毅然とした態度で変じゃない?ということを言ってくる人」は相手の背景みたいなことを考えないで、自分が関与してないことに関して安全な位置からズケズケとものを言ってくる場合が多くて(偏見)、単純にそれってどうなのよと思うこともある。

成果主義の観点から言えば確かに相手の背景とか頑張った度とか全く関係ないし、「頑張ったから結果は失敗でも100点!」とは思わないけど、だからといって頑張り度を無視したり「こんなのまるでダメだね」と結果だけに注目して全面否定するのは、まあ優しくはない。優しさがない場は心地よくないし、心地よくない場で人は正常に動けないでしょう。

「今回はうまくいかなかったけど学びになったね、次はがんばりを別の方向に生かして、反省してまたみんなで頑張ろう」とか、なんか言い方はあるじゃないですか。外野からものを言ってくる奴は当然外野なんで当事者意識がないから相手の立場にも立たないし、当然外野なんで「みんなで」にも入らないし、入る気もない。だから不満足な結果や自分が被った迷惑だけをデカい声で主張してくるんですよ。謝れ!どうにかしろ!みたいなね。

 

と、発作を起こして高校時代の人々への悪口を書いてしまいましたが、「俺が悪い…」モードから抜けられたことが大事!あと最近相手の状況も鑑みず学内インターネット環境が悪いことに関してTwitterで学生部に怒りのツイートを連発してたので、あまり人のことは言えないかもしれない…まあ中でも色々事情はあるんだろうけど、でもなんか、それはおかしいじゃん…と思う。今度意見書でも出します。なんにせよ心がけが大事…

おかしいことにはおかしくね?といえる人間になりたいという話でした。今日は作業できなかったが寝る!おやすみ!!