大学生活の振り返り

 特に用事はないのだけどなんだか眠くないので*1、大学生活の振り返りでもしようかと思う。

2017年

 大学入学。入学してからの1週間はあまりにも怒涛で目の回る日々だったことを覚えている。「あの陽キャもこのパリピも時間割を毎年組んで生活しているなんて信じられない」と思ったことだけは鮮明に覚えている。中学の同級生と高校の同級生が同じ大学で相まみえることになり、私が仲人のような形になって「こちらは中学の同級生の○○です、こちらは高校の同級生の○○です」とそれぞれに紹介したのがとても奇妙な記憶として残っている。みんなもそうかもしれないけど、それぞれに見せている顔って少しずつ違うので、私は今この瞬間どの顔でいれば良いのか、と思って、その二人と過ごす時はしばしば困惑していた。

 1年生の頃はまだ同学部の高校の同級生と一緒に講義を受けていて、最後列とかで大して聞きもせずぼーっとしたりスマホをいじったりしていたので、内容は全く頭に入っていなかった。1年前期の講義をあまり落とさずに済んだのは教授の優しさでしかないと思う。その証に、1年後期~2年後期までの成績はボロボロだった。

 club-DTMに入部したのは大学に入学してすぐのことだった。私はなぜか年に何度かある大学のオープンキャンパスのすべての回に参加していて、先輩の誰かに電気グルーヴの話をして話が通じたのが嬉しくて「この大学に入ることになったらDTMに入ろう」と決めたのだった。当時はマスコミ系の道に進みたくて法政の社会学科と迷っていたのだけれど、東京暮らしに怖気づいていた時期でもあったので、DTMの存在は法政を諦める理由として正直都合の良い存在だった……というのもある。当時は「受けたけど受からなかった」という失敗体験を作るのが怖かったのだ*2

 あとは最初の年は部室でだらだらしていた記憶しかない。ゆっちゃんとめちゃめちゃ仲良くなって、家族で寿司を食べに行った後に手づかみでエビとかチキンとかを食べるお店に一緒に行った覚えがある。あれは2年の時だったかもしれない。ポテトやらエビやらがバケツに入って出てくるんだけど、エビよりも最後に残ったポテトを食べる作業が辛かった印象がデカい。でも美味しかったな。あと、ゆっちゃんと遊んでたらなぜか入ったお店でしょっぱい杏仁豆腐が出てきて、店員さんに「しょっぱくないですか?」って聞いたら「少々お待ちください」って言って裏に持っていきながら店員さんが指突っ込んで味を確認していたのを目撃してしまい、「え?アレまた戻されるんかな?」ってなったことがあった*3。しょっぱかったかどうかよりも店員さんが直に指を突っ込んでいたことの方が衝撃だった。

 あ、あと囲碁研に入った。マジで動機が意味不明なんだけど、急に「囲碁か将棋やりてえ」と思って、囲碁の方が賑わっていたので囲碁にした。2年の後半くらいに色々もつれて辞めてしまったんだけど*4、先輩方はとても良い人ばかりで楽しいサークルだった。しばらくはちゃんと囲碁頑張ってて、先輩方も「上手だね」って言ってくれてた時期もあったんだけど、なんせ囲碁自体をあまり好きになれず、結局何も実らないまま終わってしまった。良い環境だったのにもったいないな~と思うけど、まあ興味が持てなかったんじゃ仕方がない*5

 飲食店でバイトも始めた。今思うとなかなかひどい店員だったと思うんだけど、それなりにやれたので良かった。結局「自分は関与してないけど店員同士がめっちゃバトっていて空気が悪い」という理由で2年の時にやめてしまったんだけど、今思うと贅沢な理由だな~と思う。でもやめたくなるくらい耐えられなかったんだなと思うとしょうがないかなとも思う。

 1年生の時の思い出といえば、涙なしには語れない自治会主催の新歓だ!何度かこの話している気がするけど、実態は自治会主催の新入生限定合コン*6なのにそうとは知らずに気軽に足を踏み入れてしまって、何ともみじめな気持ちで会場を後にしたのを覚えている。あれはマジで辛かったな~。自治会の人が浮いてる私を気遣って話しかけてくれたのも逆に辛かった。まあ私もちょっと突っ張りすぎてたと思うので、今行ったらもう少し適切に振舞えたと思うけど……。ああいう場は酒がないと無理なので素面で行けと言われたら無理かもしれない。

2018年

 全然記憶がない。そもそもあんまり大学に行っていなかった。そろそろ「2限は起きれない」ということに気づいた気がするけど、専門科目の関係で結局2限も行かなきゃいけなかった、とかだったかな……。とにかく大学に行ってなかった。単位を20単位落としたのもこの時。本当に記憶がない。ライジングサンに行ったらめっちゃ土砂降りで雨に打たれて「でも絶対風邪ひきたくない」と思って物凄い気合で頑張ったら風邪ひかずに済んだという謎のエピソードがある。あの年はライジングサン田んぼフェスだった、本当に。せっかくレキシの稲穂買ったのに石狩湾新港に植えてきてしまった*7

 あ、みんなでバーベキューもした気がする。あれは新歓か!その年に入ってきた新入生が全員実はタメだということが発覚して沸いた覚えがある。クコルカ氏と仲良くなり始めたのもこの頃……?遊び始めたのは3年になってからのような。というくらい2~3年の記憶が曖昧。何して遊んでたかもあまり覚えていないけど、バイトやめて節約の鬼になり始めたから結局あんまり遊んでもいないんだと思う。あと彼氏と遠距離になったのでそちらに足繁く通っていた。多分。

2019

 ようやく大学が面白くなり始めた、というか、いよいよ真剣に通わないと卒業できない兆しが見えてきたのでちゃんと通って話を聞くようになったら面白くなった。確か3年くらいから「必ず最前列に座る」という自分ルールを課した気がするんだけど、それが功を奏した。少人数講義を結構取っていたので、先生と仲良くなれたりして面白かった。ジェンダー系の講義は毎回面白くて楽しみにしていた。そういえばジェンダーに興味を持ち始めたのは2年後期くらいだったかもしれない。学校図書館社会学とか社会病理コーナーに興味を持って、よくあの辺の本を読んでいた。あの棚、どれも面白そうな本ばかりで発見の宝庫だったからまた読みたいんだけど、もうその機会が取れそうにないことがとても悲しい。田舎に行くのは別に構わないといえば構わないんだけど、田舎の図書館はやはり「知の宝庫」感はないので、あの妙な興奮がもうしばらくは味わえないのか~と思うと悲しいものがある。とはいえ、私はいつでも浴びるように本が読めるタイプではないので、仮に引っ越さなかったとしても、残りの学生生活もわざわざ大学に通ってまで本を読んでいたかは謎だけれど……。私にとって大学構内におけるオアシスが図書館だった、というのも、読書欲を煽るきっかけだったので。3年は頑張りの甲斐あってフル単だったので、「ようやく人間になれた」と思ったのを強く覚えている。別にフル単じゃなくても人権はあるんだけど。3年が一番遊びと勉学のバランスが取れてて楽しかったような気がする。

 あ、就活もしてた。就活は本当にラッキーの連続でとんとん拍子で決まったので本当にありがたい限りなのだけど……。なので特筆すべきことが特に浮かばない。何事も準備が肝心という感じ。3年10月らへんでコロナが来てたらかなり不安だったろうなと思う。私はキャリアセンターに足繁く通っていたけど、やっぱり対面して相談したい気持ちが強かったので、メールや電話だけではその辺がしんどかっただろうなと思う。ちゃんとした面接をやらずに就活終えたけど、大企業受けてる人とかは面接練習もままならなくて大変だったと思う。今年の就活は本当に大変だった*8

2020

 2020年、前半はほんとずっと家にいたな。寂しくて結構discordでオンライン飲みしてた覚えがある。あ、めっちゃ内輪ネタだけどガチ恋ファンタジークラブが結成されたのも2020年初めでした。今年は1年通して1回も外で働いてなくて、来月から働きに行ってちゃんと人と話せるのかな!?って結構不安。まあ頑張るしかないんだけど……。あと人生初ブリーチしたのも今年の夏くらいかな。派手髪キープしている人の血の滲むような努力といったら……って感じ。派手髪キープするのって本当に大変。すぐ色落ちするし、高いシャンプー使わないといけないし……。てのを実感しました。あとブリーチ思ったより良くて、もっと早くやっとけばよかったな~と思った。

 

 ていう感じ。こうして振り返るとちゃんと4年経ってるんだな~~って感じがする。激長ですみません……。ほんと、あまりにもあっという間でびっくりする。こないだ入ったばかりなのにもう卒業か~。まだ4か月くらいありますが。卒業式、あるんですかね~。ないと見込んで袴借りてないけど。

 実はこの後club-DTMについてもう少し書いてたんですが、それはまた今度にします。では、また書きます。おやすみなさい。

*1:理由は分かっていて、毎日昼の14:00まで眠っているからだ

*2:単純にサークルが楽しそうだと思ったのもまた事実

*3:結局「しょっぱくないです」って言われて戻ってきたのでしょうがないから食べた

*4:今思うと本当に心底申し訳ない……

*5:これはDTMにも同じことが言える

*6:ただし男女比は9:1

*7:訳:落とした

*8:就職氷河期については詳しくないので「比較してどう」とかは分からないけど