ブログを移転します!!

皆さんこんにちは☺️暑い日が続きますがお元気にされてますか?焼鳥です。

さて、標題の通りブログを移転することにしました!移転先はこちら↓

hotoke-no-face.hatenablog.com

移転すると言っても、↑は昔からやっているブログなので、そちらに統合するようなイメージなのですが……。

↑のブログは元々ネットの友達向けに書いていたやつで、このブログはリア友向けに開設したものなのですが、どちらかしか更新できないというのがずっともどかしくて💧

自分の友達界隈には大体ブログ文化は行き渡ったかなと思うので😂笑、そろそろ古巣に戻ってのんびりやろうという魂胆です。まああと対外活動をもっと積極的にやるために名義を揃えたいなとか、色々理由はあったのですが、それはまあさておき……。

このサイトもしばらくは残しますが、そのうち消しちゃうと思います🙇今読者になっているブログは向こうのアカウントでも読者登録させていただきますので、もしよければ皆さまも読者登録よろしくお願いします☺️

というわけで、長らくのご愛読ありがとうございました。新ブログの方でもお会いできることを楽しみにしています!ではでは、焼鳥でした〜☺️

(Twitterも新しい垢をはじめました。よかったらフォローしてネ@nyantluckyman)

祖母が亡くなった

・祖母が亡くなった。祖父が10年ほど前に亡くなり(数年前までは明確にいつ亡くなったのか覚えていたのに、今や「中1か中2の8月」という記憶しかない。でも物心ついてから初めて亡くなる身内だったので、なぜか戒名は覚えている。当時の私は、祖父のことをちゃんと覚えておかないと、と思ったのだと思う。)、それから祖母はしばらく一人暮らしをしていたのだけど、冬場に転んで骨折してから歩くのを怖がるようになって、どんどん筋力が衰えてしまい、ここ5年ほどはほぼ動けず、施設で暮らす日々だった。コロナや父の兄弟間の諍いもあり、最後5年ほどはほとんど会えないまま終わってしまった。危篤の報を聞いてから「今週末のライブ、無事行けるだろうか……」と心配してるあたりあまりにも非情な孫だし、実際全然会ってない上に弱っているのも知っていた(死への覚悟ができていた)のであまり悲しんでいなかったのは事実なのだけど、感じたことを色々書いておきたい。

・「あと3日持たないかもしれない」という知らせが来た翌朝には亡くなった報を受け……ライブに行けそうなことに少なからずホッとしつつ、「ばあちゃんは私のことを覚えていないから死を知らせなかったのかも」とも思った。父のところには虫の知らせがあったらしい。祖父の時は知らせがあった(授業中に急に線香の匂いがして、帰って話を聞いたらちょうど亡くなる10分前だった)。祖父は最後に会った時、まだまだ生きたそうに感じたしもう少し記憶もしっかりしてたと思うけど、祖母はそうでもなかったのかなと思ったりもする。そういう念みたいなものが虫の知らせとして届いているのかなと……まあ普通に会ってなさすぎて私に虫の知らせを出すのを忘れたのかもしれない(?)。ちなみに私は霊感も何もないけど、人が死ぬ直前の虫の知らせだけは信じています。

・まず現地で遺体を見た時は、「肌のハリツヤが良くて元気そうだな」と思った。亡くなる直前の写真を見た時も「肌のハリツヤがいいな」と思ってて(むくみのせい?)、遺体に言うのも変だけど元気そうだなと思った。まあでも、人は死ぬと蝋人形みたいになるなあ、とも思った。人によく似ているのに生気がない、というか……。親族も祖父の時ほど打ちひしがれておらず、コロナで会う機会が激減したことによる家族の分断みたいなことを思った。あと父の兄弟間の仲があまりよろしくなく、終始空気がピリついてて居心地が悪かったので、和ませたくてやたらニコニコしていた。父は昔から兄弟の中で「ちょけてるテキトーな奴」ポジションなんだろうな、と見たこともない子ども時代の兄弟の姿が頭に浮かんだ。自分は兄弟いないのでよくわからないけど、まあ弟ってそんなもんなのかなとも思う。

・翌日がお通夜。お通夜はつつがなく終了。しかし呑気に早めの晩飯を食べてたら参列してくれた上司の連絡に気づかず、ご挨拶できず。また、いとこと会うも相手が大人になりすぎてて気まずくて一切話せず(祖父の葬式以来ほとんど会っていなかったので……)。親同士の関係が悪いからか、相手もあまり社交的に話しかけてくる感じでもないのでなおさら話しかけられず……。話すチャンスはいくらでもあったけど、ガチで何を話したら良いかわからなかったし一度「久々だねー!覚えてる?」と話しかけた後の微妙な反応が気まずすぎて結局話しても話さなくても気まずい感じ……自分が一番年上なのでもっと気軽に話しかければよかったんだけど。最後の通夜振る舞いではビールを飲み、少々元気が出たこともあり卓が盛り上がってよかった。こういう時大人になってよかったなと思う。ああいう時は「みんなで笑って楽しい時間を過ごした」と思うことが大事なので、大して面白くなくても大袈裟に笑い楽しい空気を出すことに価値があると思う。その点、無からはどうやっても笑いを生み出せないので、0から1を作る人は本当に偉いしすごいなと思う。調子に乗って2本目のビールを開けたけど少し飲んですぐ出ないといけなくなって申し訳なかった。

・そして今日。今日は葬式と火葬。昨日から何回焼香するのか?というくらい焼香タイムがある。そして通夜の時よりもやたらお経のBPMが早くて、これくらいの速さのガバあるなと思った。あと小さい頃参列した葬式でお坊さんが急に絶叫してびっくりした覚えあるな〜と思ってたら今回も無事絶叫してて、あまりのデジャヴぶりに思わず笑ってしまいそうになり危なかった。シンバルを打ち鳴らしたりたいまつ風の棒を投げたり、色々アグレッシブな葬式だった。かと思いきや花を棺に入れて出棺する時にはみんな急にさめざめと泣き出してテンションの差がすごかった(笑いそうになってたのは私だけなのでみんなのテンションに差はないんだろうけど……)。まあ祭壇にいて顔が見えない時より、降りてきていよいよ火葬という時の方が実感が湧いて悲しくなるんだろうな。出棺して火葬場に行った後、寺に戻る時にひっそり涙ぐんでたんだけど、いつもこういう時すましている母が号泣しはじめて、あまりの唐突さに困惑して涙が引っ込んでしまい、そこですっきりできなかったせいか、その後あまり泣きポイントじゃないところでしばしば泣いた。まあでも義母の死に泣けるというのは良い関係だったということなのだと思う(多分)。

・荼毘に付すまで2時間かかるとのことで、人の身体は高温でも焼くのに2時間もかかるんだなあと思ったり。葬儀はとにかく待機してる時間が長くてしんどかった。

・焼いた骨はとても小さく脆く、骨箱に収まった姿を見て、人はこんなに小さくなってしまうんだなあと悲しくなった。でも立派に祭壇を立てて見送ってもらえるのは良いことだよなあっていうか。身寄りのない孤独死の人とかならこうはしてもらえないだろうし、まあ死んだ後のことだからどんなに豪華にしても死んだ人にとっては意味はないような気もするけど(葬儀は遺族の折り合いのためにやるものだと思うから)、でも人生最後に主役になれる日をちゃんと見送ってもらえないのは寂しいことだなと思った。あと、結婚は別に興味ないけど、結婚してないと死んだ後好きな人と一緒に眠れないのは寂しいなとも思った。まあ霊体なんだし骨がどこにあろうと関係ないような気もするけど。思考がリアリティと宗教的観点の間を高速で行き来している。

・葬儀屋ってなんかかっこいい気がしてくるけど、仕事としては土日もなくて大変だよなあと思う。人の死に鈍感になったりするんだろうか。葬儀に行く度に壇蜜の前職(エンバーミング屋さん)のことを思う。

・最後にいとこ全員で記念写真撮ったんだけど、私だけ満面の笑み、他みんな真顔で、前回私以外で撮った写真が割と笑顔だっただけに「うちなんかした?」という感じだった。私も別に笑いたかったわけではなく「みんながあまりにも真顔なのがわかってるから楽しい感じを出したさすぎて無理に笑っている」という感じで、なかなか苦しい時間だった。愛想というものはないんだろうか?まあ……別にいいですけど……。久々に愛想0の人と触れ合ってかなり精神が磨耗した。集合写真はきれいに写っていてよかった。

そんなところかなあ。それぞれの家庭で各兄弟の悪口を言い合ってる雰囲気だけど、私的にはみんなそれぞれ正しいところもあれば間違ってるところもあるなあって感じで、だからこそ人間関係って難しいよねーって思う。私もいとこと仲良く写真に写りたかったならもっと話しかけるべきだったかなと思うし。まあ、自分は一人っ子でよかったなとも思うけど、親の葬式とかで相談できる人がいないのは心細くもあるだろう。血が繋がっているというだけで集まっている"親族"という集団に対し、なんだか不思議な関係だなと思った。

というわけで、身内の死すら話のネタにするというのはどうかとも思うけど、書いてみました。年をとっても都度感じることを自分の言葉で書けるくらい、しっかりした頭を保ちたいなあ……と思う旅でした。年取ると楽な方に逃げたらダメになるなぁと思うし、そういうリハビリ的な意味で人と暮らすのはいいのかもね。でも、体にいいのがわかっててもマック食べるのやめられないように、心底人と住みたいと思ってもないのに、無理に人と暮らせないよねえ……。なんでのんびりしてられないんだろうな。現場からは以上でした。