ルッキズム

https://www.roomie.jp/2019/04/517031/

 

今この記事がめっちゃ燃えている。

たまたま燃える前に読んで、「あ~まああるよね」と思って流したんだけど、後になって超燃えてたんでびっくりした。確かに読み返すと「僕たち私たちっていうよりか、"僕"では」とは思うし、なんだお前感・ラブホで若い女にたばこ吸わせて写ルンです風のフィルター掛けた写真撮ればエモエモになると思うな感もあるんだけど、そんなに「愚かだ」「頭使え」とかめちゃめちゃこき下ろされるようなものとも思わなかったから、数々の批判ツイートを読んでふ~んと思いながら読んだこちらまで盛大にdisられているような気持ちになり、そうですか…となった。

さっきの記事にも書いたけど、全く自分の意見に自信を持てない。すべて先入観のように思えてしまう。「普通の記事」と思って読むのと「炎上した記事」と思って読むのとでは全然印象が違って見える。無意識に粗探しをしているような気がするし、あの記事を痛烈に批判している人は炎上する前に読んでも本当に全く同じ感想を持ち、同じ熱量でぶっ叩いたと自信を持って言えるんだろうか。人間の持つ善悪の尺度みたいなものって、本当にそんなに明瞭なのか?

自分が批判側に共感できなかったから自己正当化したいだけかもしれないし、そういう節がないとは言い切れないと思うんだけど。

 

今回の批判を見る限り、人々が具体的に怒っていた点は、

①純粋に文章が気持ち悪い

②文化や美への敬意が感じられない

③取り上げた人々は顔で売っていない

④他人の顔を名前つけてカテゴライズするな

の4点である。もっと他のところに怒っていた人もいたかもしれないけど、まあとりあえずいいや…

①はまあ、なんとなくわかる。なんかこう…ヴィレッジヴァンガードが文化のすべてだったような感じというか…わたしは都会の文化について知らないので、なんとも難しいですが…わたしが理解できるくらいなんだから、確かに浅いんだろう。これもまた浅い考察だ。

②と③は全くわからん。文化や美についてわたしはほとんど知らないし、詳しく考えたこともない。だからこそ、世の中にはこんなに文化や美について批判し語れるほどの知識を持つ人々がこんなにいるんだな~と思って、純粋にびっくりした。けど、それと同時に「信じられない!」とか言ってるもののほとんど誰かしらへの批判的なリプライしかしていない、フォローフォロワー1桁くらいの、"荒らし"のような人々が存在していることもわかった。彼らは日々の炎上発生に一役買っていると思う。火にかけたまま放置された油いっぱいの天ぷら鍋を日夜探し回ってるんだろうか…。

④はう~ん、わたしはどうしても「塩顔」「醤油顔」みたいなものを悪口に捉えられないから何が問題なのかよくわからないんだけど、『純粋に他人の顔を勝手にジャンル分けするなんて何様やねん』とか、そういう話らしい。まあそれはそうだけど、悪口じゃないなら言わせておけばいいじゃんと思ってしまう。「馬顔」とかはちょっと嫌だけど。とはいえ不快に思う人たちはカテゴライズされることそのものを不快に受け取るわけだから、悪口と同じように、言われると嫌なんだろうな…

わたしやわたしの周りの人は関係ない他人の顔の話はあまりしなかったように思うし、そういうカテゴライズをすることもされたこともあまりないから、どう感じるのか実感がないのかも。カテゴライズされることは面と向かってブスと言われるのと同じようなショックなんだろうか。わからん…でもアホな大学生を見て「あ~こんな感じの人と同じにされるのは嫌だな」と思うあの感じと同じなのかもしれない…わからないけど…わたしはわたしである、みたいな…

加えて、そうやってカテゴライズして一般に広まるとからかいの対象になるらしいこともわかって、それはよくないなあと思った。同じように言っている人もいたけど、せっかくの良さがなんだか浅はかになってしまうと思うし、それによってつらい思いをする人がいたら悲しい。言われてみれば濃い顔になりたかった人が「塩顔だよね~」と言われたら悲しいかもしれない。そういうことなんだろうか。

 

しかし最近出てきた~ズムシリーズは全然わからん。ルッキズムをはじめとして、フェミニズムレイシズム、全部日本語で言ってほしい。大体Twitterで関連するワードを見ていると他人同士の罵り合いばかりが目に入って嫌気がさし、深く考える前に観るのをやめてしまう。もうTwitterを辞めた方がいいと思う。けど、Twitterを辞めるといよいよそういう思想のアップデートが困難になりそうで怖い。思想のアップデートを辞めた時、人は老害化が進むと信じてやまない。なんだかこれではただの思想の押し付け合いみたいなので、思想を押し付けない人間性の育成が大事なような気もするけど…

 

ルッキズムフェミニズム関連で疑問に思ったこともせっかくなので書いておくことにする。わたしが気になるのは、アイドルやセックスワーカーたちは、ルッキズムフェミニズムの観点からどう見るべきなのか?ということだ。

アイドルもセックスワーカーもまず見た目の美しさにフォーカスされることが多い。ルッキズムが「人を見た目で判断しない」、フェミニズムが「女性の権利を大事にする」「女性を娯楽として消費しない」という思想であれば、アイドルやセックスワーカーという仕事はいけないことなのか?

ここでは代表例としてこの2つに触れているけど、レースクイーンやモデルさんなど、もちろん容姿が問われる職業はほかにもたくさんある。

容姿は先天的な能力のようなもので(後天的に変えられる部分もたくさんあるけど)、これを生かして働きたいという人がいるのも理解できる。でも顔立ちのきれいなアイドルに「○○ちゃん、カワイイ~~!!」と声を挙げるのは人を見た目で判断しているってことになるんじゃないだろうか?

まあこんなのは屁理屈であって、実際のところは「『カワイイ人』をやりたくてやってるアイドルやモデルさんには能力評価としての『カワイイ』という声かけはしてもいいけれども、その辺にいる美人に無闇に『カワイイ』と言うのはよくないこと」みたいな感じなのかもしれない。セックスワーカーに関しては、無くすとそれはそれで女性の職業選択の権利を奪うことになると思う。やりたくてやってる人はあまりいないだろうけど、それでもお金がいいのは確かだ。

難しい話について寝ぼけた頭で考えていたら朝が来てしまった。寝ます…ルッキズムについて詳しい人、思うところがあったら教えてください。それではまた

P.S.まあなんにしろ強く思ったのは、燃えてるからって薪をくべるように暴言を吐いたり「クソ」とか「カス」とかそういう知性のない言葉で罵るような人間にはなりたくないなってことです。人はいつだって間違えうるんだから…