電気グルーヴ

お昼に眠りすぎたのか全く眠れないので電気の話でもしたいと思う。

電気グルーヴについては一番に好きだと公言している以上何か言及したいとずっと思っていたのだけれど、別に私は三十年来のファンでもないし、せいぜい4〜5年程度好きで聞いてます、程度のファンに語るべきことなんて何もないなあと気づいてしまい、ただただ「ショックだ」とかそんなようなことばかり言っていた。今も語るべきことは特にないように思っているけど、まあ好きなバンドがクスリで捕まることなんかそうそうなさそうなので、何かしら書き付けておこうかと思う。

 

瀧逮捕の一報を聞いたとき、純粋に呆然とした。わたしは彼氏の家に遊びにいっていて、ひとりでTwitterの速報を見て、急いでテレビをつけて、そしたら、瀧がやけにかっこいい顔で連行されていく姿がどこのテレビでもでかでかと報道されていた。本当にもう混乱でしかなかったし、新井浩文が捕まったときのフラッシュバックもありもう本当にアワワという感じだった。あのときの気持ちはなかなか鮮明に表現できない。まあ端的に言うとショックだと思う。

しばらく飲み込めなくて、とりあえずやった本人でもないのに「まあでも瀧はやってるでしょ、許される人種でしょ」とかなんかそういう適当な、言い訳みたいなものをし始めて、それからしばらくして、ひとりで泣いた。ひとりで泣きながら電気を聴いた。当たり前だが電気のどの曲を聴いても大体瀧がいるのである。警察の車で、やけにかっこいい顔で連れていかれたあの瀧が。でもアップルミュージックから消えてしまうかもしれないし、帰ったらCDもあるけどとりあえず今手元にはなかったので、とにかく聴くしかなかった。好きだった曲であんなに落ち込む日が来るとは思わなかった。でも、聴くしかなかった。もしかしたらこのまま販売自粛されて永遠にお蔵入りされるかもしれないし、そうなったら今後の人生60年くらいは、持っていない新譜はもう二度と聴けないのだ。今一生分くらい聴いてやるくらいの気持ちで聴き続けた。

卓球さんもしばらくなんにもツイートしなかったし、それもまた不安だった。卓球さんはどう感じているのか?卓球さんも一緒に捕まったらそれはそれでおもしろいな?そんなことを考えていた。獄中再結成とか電気っぽいなと。

そのうちに卓球さんもツイートし始めるようになって、あれは本当にうれしかった。ラジオ研究会という高校生5人組のアカウントがあって卓球さんとちょこちょこ会話しているんだけど、彼らのツイートにも励まされた。電気グルーヴという存在、作品がこの世から抹殺されようとしている中で必死にあがいている感があり、よかった。卓球さんの「だとよ」には本当に安堵した。「だとよ」なのだ。あそこまで救われる「だとよ」はあとにも先にもないと思った。

 

今は気持ちも戻ったし手元にあるCDや音源データできちんと楽しく聴けるようになったけれど、しばらくは本当にしんどかった。ふとした瞬間に瀧がいないこと、電気の音楽が今この瞬間この世から消されていることに気づいていちいちダウナーになっていた。 結構しんどかった。わたしはかなり電気が好きだったんだなあと思った。ネット用のアカウントで、「こういう事態になるのを予測できない人間は芸能をやるな」みたいなツイートをしてる友だちがいて、正論なだけにつらかった。正しくないのはわかっているけど、それでも瀧のことを擁護したくなってしまっていた。

 

わたし的にはコカインはまあ、別にやってようがやってまいがどうだってよくて、ただ日出郎さんが言っていたかと思うけど「あの素晴らしさはすべてコカインによるものだったの?」と思わせてしまうのは本当にもったいないな、と思う。これまで何度も電気のライブを見てきて、フェスが多かったのもあってだいたい前から3列目以内で見られることが多かったんだけど、瀧はいつもほんとうに麗しかった。父親のような優しい目でファンに手を振るその様はジャニーズアイドルのような趣で、わたしが人生で初めてファンサに喜んだのは瀧だったのではないかと思う。目があってわたしに手を振ってくれたとき、本当に嬉しかったし今でも鮮明に覚えている。電気のライブはいつも最高のステージだったし、若い人も父親・母親くらいの人もみんな楽しそうにノリノリで踊っているのが本当によかった。あの素晴らしさは薬物ではなく瀧本来のパワー、パフォーマンスであると信じたいけれど、今では本当のところはわからない。それがすごく悲しいというか、悔しいというか。なんとも説明できないわびしい気持ちというのはこういうことかもしれない。

 

今後どうなっていくのか正直なところ全くよくわからないけれど、わたしはまた電気のライブが見たいし瀧にまた会いたいと強く思っている。音楽は幸いなことに誰かの後ろ楯なしでもとりあえずやることはできるので、ソニーからリリースじゃなくてもいいしグッズがしょぼくてもなくてもいいから、とにかく曲とライブだけは提供してほしいと思う。まだ50歳、あと20年くらいは聞かせてほしい。まだまだ終わる時じゃない。わたしは自分の親と同じように、電気グルーヴの死を看取るつもりなのだから。