あむちゃんに捧ぐ

あむちゃんが卒業してしまう。こんなに早くお別れが来るなら、もっと丁寧にお手紙書くんだった。初めて会ってからの空白の6か月間、もっと遊びに行っていれば。昨日あみゅーるから帰ってきて、ちょっと分厚くなったチェキホルダーを見て感慨深い気持ちになっていたところなのに。

 

今年に入ってから新井浩文ピエール瀧、あむちゃんと、好きな人たちが次々と姿を消している。前二人は犯罪でいなくなった人たちなのであむちゃんと一緒にするのはちょっと申し訳ないけど、きっかけは違えどみんな引退みたいなものだし、先日アイドルオタ用語を見ていて「死神」というワードがやけに引っかかったところだったので、本格的に気持ちがしんどい。うちはマジで死神だったのか。尸魂界出身なのか俺は(今パソコンで「ソウルソサエティ」と打ったら一発で尸魂界が出てきてちょっとビビった)。

 

何度も下書きしては消し、を繰り返していたのであむちゃんのこと書いたつもりになっていたけど、思えばこのブログを立ち上げるきっかけを作ってくれたあむちゃんのことを、きちんと書いていなかった。卒業発表を聞いてから書き始めるなんて皮肉なものだが、卒業式の日に書こうと思ったら1万字を軽く超えてしまいそうなので、今書いておく。

 

わたしがあむちゃんと初めて出会ったのは去年の6月だった。当時は友人と共に非日常スポットに足を運ぶ『社会見学ツアー』にハマっていたので、その一環として、サークルの先輩とメイド喫茶に行こうという話になった。当時はまだ社交会館ビルにお店があって、第一印象は「喫茶というよりか、バーだな」だったと思う。卒業したメイドさんの名前を出していいかわからないので具体名は伏せるけど、3月末でメイドさんその他の活動を終えた女の子とあむちゃんに接客してもらって、あむちゃんの名刺をもらった。特別な感慨を抱くことなく、普通に楽しんで普通に帰った。それからなかなか行く機会がなく、Twitterだけを追う日々だった。

 

日が空いて今年1月、東京から来たメイド喫茶好きの友人と再訪した。半年以上前に1度来たっきりの客のことを覚えているはずがないと思い、友人と一緒に新規客の顔をしてシステム説明を聞いていたら、説明を終えたあむちゃんが「お久しぶり!」と声を掛けてくれた。一瞬で心奪われてしまった。メイド喫茶に来る客のうちどれくらいが女性でどれくらいが新規で、など、わたしには知る由もないけど、覚えていてくれたことが本当に本当にうれしかった。あむちゃんが『推し』になった瞬間だった。認知の魔法ってすごいな、と真剣に思った。

他のメイド喫茶に行くことも何度かあったし、そちらではそちらの楽しさがあったけど、同じメイド喫茶でもお店によって毛色が結構違うんだな、と思った。それは、メイドさんたちのやる気であったり、ビジネススタイルであったり、まあ色々だけど、総じてあみゅーるの方が居心地がいいなと感じたし、純粋に他の誰よりもあむちゃんに会いたかった。いつもするのは他愛もない話だけど、なんだかそれが心地よかった。わたしがメイド喫茶に通ってることを知った友だちからは「女の子なら周りにもいるじゃん。なんでお金を払って会いに行くの?」と何回か聞かれたけど、正直わたしにもはっきりとした理由はわからない。


社会見学ツアーの一環でホストクラブに行ったことがあって、合計5軒くらい回ったかと思うんだけど、ホストクラブよりもメイド喫茶の方が断然楽しかった。酒を飲んで知らない人と喋るのがドキュメント72時間みたいな気持ちになり楽しい、くらいの気持ちはあったが、男性の「カワイイね」は商業臭くて全然響かなかったし、カワイイねと言われるとちょっと冷めてしまった。

でも、同性のメイドさんの褒め言葉は商業だとしても許せたし、素直に受け入れて喜べた。わたしはメイドさんに認めてもらいに行っていたのかもしれないな、と思うし、わたしもまたメイドさんたちを思うまま褒めることで認めていたつもりである。とても傲慢かもしれないけど、メイドさんたちが生きていて漠然と感じてきた気持ちみたいなものをなんとなく理解できるように思っていて、わたしが純粋な気持ちで褒めることやお金を落とすことがみんなの生活の一助になれば、とも思っていた。わたしの友人たちも同じ感じなので、友人に同じことをするように、みんな素敵だから幸せになってほしい、という気持ちだった。単純に「俺が支えている」感が気持ちよかっただけかもしれないし、はっきりしたことはよくわからない。でも、いつだって楽しかったのは紛れもない事実だ。

 

結構メイドさんたちのことを友だちみたいに思ってしまう節があって、痛客みたいになりたくなかったから、「メイドさんは友だちではない。客と従業員でしかない」ということを常々自分に言い聞かせてきたし、お手紙にも「あむちゃんが『あむ』として生きていてくれるからわたしはあむちゃんに出会えました。月日が流れてもあむちゃんとしてあみゅーるに立っていてくれてありがとう」というようなことを書いたんだけど、それでも卒業の報は純粋にショックだった。しかもそのショックは「好きだった友だちにもう会えない」というような類のショックで、どれだけ言い聞かせていても友だちのような近い存在に感じてしまっていたこと、本当はすごく遠い存在だったこと、そしてそれがさらに遠くに行ってしまうことについて、深いやるせなさを感じた。

わたしはまだ20歳で、どんどん卒業・就職と環境が変わっていくし、その節目節目をあむちゃんと過ごすことができると当たり前に思ってしまっていたから、それができないのがとても悲しかった。「あむちゃんお誕生日おめでとう!」も、「あむちゃん就職決まったよ!」も、「あむちゃん無事卒業できたよ!」も全部言えないのがすごくさみしい。今年の誕生日は一緒にシャンパンを飲み散らかそうと思っていた。あむちゃんとわたしと初めて一緒にメイド喫茶に行った先輩は全員同じ誕生日だから(すごい奇跡)、みんなでお祝いしたかった。ドンペリ入れてあむちゃんとらーめんデートしたかった。もう全部叶わぬ夢かと思うと本当に悲しい。長距離バスの中で書いているんだけど、涙が抑えきれない。窓を見てたそがれているふりをしてやり過ごしている。

 

あむちゃんの媚びなさと細やかさと飾らなさが好きだ。細やかさがないと半年前に来た客のことを覚えていないだろうし、後輩メイドさんたちへの指導も見ていて感じがよく、細やかだなあと思う。24歳で店長なんて本当にすごい。その細やかさがあったから店長をやれていたんだろうなと思うし、うちには真似できんことだって、いつも感じている。メイドさんって本当に大変な仕事だ。誰が何を好きとか名前とか、友達じゃないのに全部覚えておかなきゃいけない。なのにその大変さをみんなおくびにも出さないで、こちらが興味ありそうな最近の話題を振ってくれたりして、本当に偉いしすごいと思う。
あむちゃんはいつも自分のことを「メイドっぽくない」と言うけど、メイドさんにはいろんな人がいていいと思うし、そのいわゆる「メイドっぽくなさ」がわたしは好きだった。これもまた友だちっぽくて楽しい、と思ってたからかもしれないけど、でも好きだった。大体中学生の頃からP-MODELを聴いていて電気グルーヴの話ができる人なんてわたしが好きにならないはずがないのだ。ずっと合わせてくれていたのかもしれないけど、そのやさしさに救われた部分も多々ある。瀧が捕まってからも電気の話をしてくれてありがとう。卓球リアコ同担拒否勢だからな。

 

「悲しい」という気持ちばかり書いたけれど、卒業は本来悲しいことではなくて、あむちゃんにとっては大きな門出だ。無粋なことかもしれないけど、メイドさんだっていつまでもやっていられる仕事ではないし、あむちゃんも大人の女性である。人生80年と考えたら、あむちゃんがメイドさんをやっている期間の方が稀有なわけで、わたしはたまたまその稀有な時期に出会ったというだけなのだ。だから、悲しくないと言えば完全に嘘だけど、でもわたしにとって親しい(距離感に感じていた)人の人生がさらに開けていく、ということは、純粋にうれしいことでもあるから、わたしはあむちゃんの門出をお祝いしたい。卒業は決して、悲しいだけのことではない。

 

あみゅーるのみんなのことが大好きだけど、わたしにとってあむちゃんは輪を掛けて特別な人だ。あむちゃんの接客で嫌な思いをしていたら二回目行くことはなかったし、こんなに通うこともなかった。わたしが人生で初めて出会ったメイドさんは、あむちゃんなのだ。あむちゃんがいなくなったから別の子を推そう、なんて簡単に変えられるものでもない。まだ通い始めて日が浅いしみんなの昔の姿も知らないし、わたしの思いはすごくしょうもないものかもしれないけど、メイド喫茶にハマったこの3ヵ月、本当に楽しかった。あむちゃんが「あやちゃんの文章が好きだよ、ブログ読みたいよ」と言ってくれなかったらこのブログはなかった。これを立ち上げて本当に良かったと思う。あむちゃんが読むかはわからないけど、口下手で失言の多いわたしでも、あむちゃんにこの思いをきれいな形にして伝えることができるから。

クリエイティブなことに関して自信のないわたしは、人からつまらなく思われることを恐れてそういうことからずっと逃げていた。みんなが何かを頑張っていて、わたしも何かを頑張りたかったけど、自信がなくて最初の一歩すら踏み出せなかった。でも、あむちゃんが背中を押してくれたからようやく歩みだすことができたように思う。自分が長くやってきたことを、能力としてやっと真に認められることができた。本当にあむちゃんには感謝しかないです。ありがとう。

推しを作らなくてもメイド喫茶には行けるから、たまには顔を出すこともあるかもしれないけど、でもわたしにとってナンバーワンの推しは後にも先にもあむちゃんで、これは変わることはないし、変えたくない。あむちゃんがあむちゃんでなくなっても、どこかで暮らすあむちゃんの幸せを、わたしはずっと祈っていたい。あむちゃん、短い間だったけど本当にありがとう。これがわたしの気持ちです。残り1か月強、いっぱいお話しようね。だいすきです!!!