理屈

母親に、「あなたは自分に悩むことなんかないでしょ?」と言われて、この人は20年間一体あたしの何を見てきたんだ、と思った。

他人がわたしを見る目も、他人の気持ちも、自分の気持ちも、何一つとして明確に信じられるものなどない、と思う。昨日好きだったものが翌朝好きでなくなっていることって割とあるし、そういう時、一時の感情に左右されてはいけない、と強く感じる。だけど対象が好きな時は「これは一時ではなく、永遠かもしれない、そうに違いない」と思えてしまうので、面倒だ。そしてそれをあたしは何十回もやっている。いい加減学びたい。

自分の理屈っぽい考え方が好きな日と、好きでない日があり、今日は好きでない日だ。もっと理不尽に怒り、喜び、嫌悪し、浮かれ、泣きたい。理屈の通らないことをもっとしたい。知らない家に火炎瓶を投げ込み、家じゅうの皿をすべて割りたい。論理や他人への思いやりをすべて捨てて、利己的に生きたい。考えてみれば自分もHP赤ゲージなのに他人にザオラル掛けている場合ではない。というか、「思いやり」と思い込んでいたものも、実は思いやりではなく、ただのエゴだったのではないかと思う。なんだ、最初から利己的だったのか。じゃああたしは一体何を目指しているのか?

 

友だちに「焼鳥ちゃんは無理をしすぎる傾向にある」と言われ、どこがやねんと思っていたけど、無理することに気づかないだけなのかもしれない。いつも「無理って何」って言ってるもんな。HPゲージが赤になってからようやく気づいて回復しようとするから毎回めちゃくちゃ疲れるのか。

明確に不変の存在としてわたしの周囲にあるものは、金銭と物だけだ。物はいずれ朽ちるが、今日買った香水が明日すべて気化していることはない。金銭は経済が不安定なら急な大暴落も起こり得るので、不変とは言いづらいか。だけど、まあ日本ではなかなかないことだろう。と、思いたい。

今日持ち帰ったジンから、高校時代よくつけていたコロンと同じにおいがする。理屈っぽい癖に感情にかまけて眠るべき時に眠れないのは、本当によくないな。