私以外みんな不潔

 

私以外みんな不潔

私以外みんな不潔

 

わたしは能町みね子のことを、ずっと「卓球に無闇に絡んでブロックされた漫画家のおばちゃん」と思っていて、しかもビジュアルは完全に久保ミツロウで認識していた。札幌に住んでいたことも、生物学的に元々男性だったことも全く知らなかったので、読みながらえらく驚いた。

西加奈子の「円卓」に出てくる主人公の女の子もこんな感じに達観した子どもで、それと似たような雰囲気を感じたな(これは大人になってから書いてるので、子どもの頃から純粋に大人びていたかというと怪しいが)。

無根拠だが、素性を知るまではなんとなく自分も能町みね子に共鳴できてしまいそうな気がしていて、共鳴できるということはつまりわたしも石野卓球からブロックされる素養があるってことかと思うと、なんだか恐ろしくて、読まないでおこうかとも思っていた。素性を知ってからは特に重なるようなものもないのでそんなことないってわかるし、共感できるからといって石野卓球に必ずブロックされるということはないんだけど。

 

結論から言うと、すごく良いエッセイだった。暮らしていた札幌から茨城?に引っ越した幼稚園時代の話で、乱暴で無秩序な園児(とりわけ男の子)たちの狭間で揺れながら"自分"を保とうとする葛藤みたいなものが描かれている。

序盤はなんとなく退屈だったけど、引っ越してからが特によかった。

先生はぱっと見怖そうな大人なんだけど、実はとても良い先生で、失敗もありながら先生やほかの園児と心を通わせていく描写がとてもあたたかい。反面男の子たちにいじ(め)られる描写はつらく、主人公がただ耐え忍ぶさまを見守っているのは、心が痛かった。殴る蹴るはないにしろ、幼くて無知な人間が一番残酷だなあと思った。

考えてみれば今仮に友人が漏らしたとしても特にそれで嫌ったりいじったりすることはないので、大人になったんだなと思う。『排泄』が恥ずかしい行為だという概念はなぜ生まれ、なぜ消えゆくんだろうな。嘔吐は今でも恥ずかしいので、あまりしたくないなと思うけど。

 

主人公にとってはあまりに無法地帯の幼稚園だったために、ひっそり忍のような生活を送らざるを得なかったんだけども、担任の先生が本当にあたたかくて、その様子もちゃんと見て心配してくれていて。

主人公は転入生だったってこともあるだろうけど、40人近くの子どもを1人で担任しつつ、子どもがひっそりと隠れ忍んで生きている様をきちんと認識しているのはすごいことだなと思う。うっかり保育士さんっていい職業だなと思ってしまった。いや、それ自体はいいことなんだけど、うっかり「なりたいな」と思ってしまった。わたしは責任を持ってまでちびっこと触れ合いたいと思うほどちびっこが好きでないので、向かないだろうが。

 

誕生日にはみんなの前に立ってお祝いの歌を歌ってもらって、先生から折り紙でできたメダルを貰うんだけど、主人公の誕生日は3月の卒園式の後なので、本来であればもらえないはずだった。だけど先生はちゃんと用意してくれていて、卒園式の日に「少し早いけど…」と、それを首に掛けてくれて。

ありがとうってたくさん言うべきなのになんだか言えなくて、少しはにかんで去って、でも先生にはそれっきり話しかけられなくて、あんなに憂鬱で嫌いだった幼稚園なのに、先生にもう会えないことが急に寂しくなってぽろぽろと泣いてしまう、その気持ちがなんだかすごくわかるような気がして、わたしもまたぽろぽろと泣いた。

 

もしかしたら書いたかもしれないけど、高校の卒業式で、1年の時の担任に卒業アルバムのメッセージを書いてもらったことがある。その時くれたのが「You're Great. YAKITORI as No.1!Go for it.」という言葉で、シンプルだけどそれがすごくうれしくて、泣きそうになってしまって、でも泣きたくなくて、わたしはまともにお礼も言えず、小さい声で「ありがとうございます」と言って、頭を下げて職員室を走るように出た、その時の気持ちを思い出した。

高校は嫌な思い出もたくさんあったけど、あれはすごく鮮明に残っている。あと、同級生のマドンナに「焼鳥の言葉は、なんだか本当って気がする」って言ってもらったことも。あたしはお世辞を言わないのがモットーだったから、なんか、よかったなあと思った。あれはうれしかったな。

 

最終的に自分の話になってしまったけど、とにかく良い本だったという話。そのうち返すので(ほとんどネタバレしてしまっている気もするが)、良かったら読んでください。わたしもこんなエッセイを書きたいな、そして慎ましくてもいいから、それで暮らせるようになりたいな……と思った。

 

 

今日はそんなところでした。おやすみなさい。