(ブログへの)強い気持ち、強い愛

そろそろガクチカ(学校生活で一番力を入れたこと)が完成しそうです。

文章の話 - DOCUMENTARY

 嘘でした。全然完成しない。ブログへの気持ちが強すぎて全然書けない。わたしがどれだけブログ(つうか、書くことだろうか…)が好きか、きちんと書こうとすると色んな要素がありすぎて混乱してしまうというか、話の本筋を見失ってしまうというか…だからとりあえずガクチカとか考えず素直に、うちがブログに対してどんな気持ちを持っているか、書いてみることにします。恋か。

わたしは小6の頃からブログをやってるんだけど、Ameba、忍者を転々として、はてなに行き着いたのは高2の終わりの頃でした。あるブロガーさんの記事を読んで感激して、その人に憧れてはてなブログを始めました。なんで憧れて同じサイトを選ぼうとしたのかよくわからないけど、母も昔やってた記憶があったからかもしれない。

しばらくはそんなに読まれないまま細々と書いてたんだけど、ある時そのブロガーさんの記事を自分の記事内で引用したことがあったんですよね。そしたらその人が記事を読んでくれて、たくさん褒めてくれて、読者になってくれて。当時は引用したことが相手に通知されるの知らなかったからすごくびっくりしたんだけど、でもブログを褒められたことなかったので、めちゃくちゃ嬉しかったです。そこからは徐々に読んでくれる人も増えていきました。

今も当時も自分の文章が特別に面白いと思ったことはあまりないし、ブログを書く高校生が珍しかっただけなのかもしれないなあ…と思うけど、でもやっぱりその時の経験がすごく自分の誇りというか、アイデンティティというか、になっています。今でもそのブログは続けているんですけど、日々読んでくれている読者さんたちには本当に頭が上がらないです。

頭が上がらないっていうのは、苦悩の高校時代からセンター無事通過して大学入って今に至るまで、その人生の節目たちを見守ってくれてありがたい…という気持ちももちろんあるんだけど、でもそれだけじゃない。それだけじゃなく、高3の時本当に世界が狭くて窮屈でしんどくて、毎日殺気立ちながら暮らしてたんだけど、そんな時に外の世界を示してくれたのが、ブログで交流していた大人たちだったんですよね。結局東京には行かなかったけど、「早く東京においで」って言ってくれたのがすごく救いだった。結局自分の居場所は東京じゃなかったかもな、と今では思うけど、なんというか、そうやって外の世界を教えてくれたことにすごく救われました。わたしのブログの読者さんは30~40代の社会人の方が多くて、住んでる場所も年齢も職も様々で、今見えてる環境だけがすべてじゃないってことを、彼らのブログを読む中で/やり取りする中で、実感できたというか。。ブログやってなかったら高校時代に死んでたかも、とかそんなことはないけど、でも随分助けられた!っていう気持ちがあります。

あと、これは単純にサービスとしてのブログへの感謝、というか、書くことへの愛、というか…だけど、やっぱり考えてることを文章にする習慣を持てたことが人生の中ですごく役に立っていて、ブログをやってて本当によかった~と日々思います。傍から見て整合性の取れた文章かどうかはさておき、何かに悩んだ時や考えがまとまらない時に、ブログを書くとまとまったり、方向性が見えたり、仮に見えなくても、なんかすっきりできるんですよね。

ちょっと自分の中のモヤモヤを解消しながら書いていったので、たどたどしいところは多少あったかと思われますが、最近の自分の悩みがかなりすっきりしたなあと、自分でもびっくりしていく所存であります。文を書きながら思考すると考えが柔軟になっていって気持ちいいですね。

ブログ始め:Freindship(星野源)考察 - クコルカ.128kbps

 クコルカくんがブログで書いてたけど、本当にそうなの。マジで「そうなの!!!!!!!!!!!!!」と思ってスター100連打した(心の中で)。

まあ、でもこれは問題や人のタイプによるとも思います。聴き手がいる方が新しい見解が得られてすっきりするタイプの問題もあるし、単純に書くより話す方がすっきりする、って人もいると思うし…。人それぞれですね。

あと最後に、他人の生活の話や他人の書く文章は面白いって話。

さっきから「傍から見て整合性が取れてるかはさておき」って書いてるけど、他人の文章を読む分には、ぶっちゃけ整合性が取れてないのもまた味だと思っています。小説は基本的にある程度の技術が求められると思うんですけど、ブログは正しくなくてもニュアンスが伝わればオッケーだし、そのゆるさが魅力というか。表現の正確さよりも、その人がどんな書き方をするか・どんな表現を選ぶかが重要で、そこが面白くて興味深いポイント。「美味しい」一つとっても、「うまい」「美味」「うますぎてウマになった」など表現方法は様々ですよね(大蛇丸の人から引用してしまった…)。自分が思いつかないような面白い表現を他人がしていると物凄い「おもしれ~~!これだからやめらんね~~!!」ってなるし、特に大学入って知ってる人のブログを読むようになってからは、話したことある人の書く文章を読むことの面白さを痛感して、なんだか新たなフェーズに来ている!と勝手に思っています。それくらい面白い。クコルカくんもみらいさんもむらせさんもminoくんも、ブログ読んでると喋ってる様が物凄い想像つく。喋ってる様っていうか、彼らから生まれた文章だ、ということがとてもよくわかる。誰のブログを読んでてもそうですが、その個性で殴られるような感じもめっちゃ嬉しくて楽しくて面白くて、いつもニコニコしながらブログを読んでます。なんだろう、他人の生活の話とか読んでるとほんと、謎に満ち足りた気持ちになるんだよな…この気持ちは何だろう…

…謎に満ちた終わり方をしてしまいましたが、ブログへの愛はとりあえずこんなところです。書いてること全部真意だけど、なんかただの変態になっているような気がして怖い…。自分でもなんでこんなに好きなのか、わからないんですが…。

あ、ひとつ書き忘れていましたが、わたしが今こうして伸び伸びと知り合いの目に触れるところで好きなことを書き殴れているのは、DTMの人たちが良い人たちだからです。ここにきて「良い人」なんて陳腐な表現しかできないのが歯がゆいんだけど、何といえばいいのか…。「一人で大丈夫な人たちが集まっているグループ」だからなのかな…と思います。自分ってものがしっかりあるからかな。うーん、なぜDTMはこざっぱりとしていて信頼のおける人々ばかりだ、と強く思えるのか、わたしにもなんだかよくわからんし、『大学』という環境故の部分もあるとは思うけど、好きに書いても揶揄されないだろう、と確信できるからこそこうして書けているので…皆さん、いつも仲良くしてくれて本当にありがとうございます。ありがたや…

そんなところでした。すっかり夜更けになってしまった~、1時間はあっという間ですね。あまり整理はされなかったけど、愛を言葉にできて良かったです!!!!ではおやすみなさいませ。