できないと思い込むな

GW、終わっちゃいましたね~。落ち込む…けど実際に終わってしまうと「もうやるしかないね、がんばろう~」みたいな気持ちになったりしなくもないので、こういうのはもうウン!と切り替えるしかないのかもしれない。

 

「すっぴんで学校に行く日に限ってめっちゃ人に会う」というジンクスがあるのですが、今日もそうでした。わたし、いくつまですっぴんで歩くんだろう…化粧も服を着ることも本当に面倒、女の子たちってなんであんなに髪巻いたりおしゃれしたりして学校来れるんだろう?スライム相手に天空の剣天空の盾天空の鎧天空の兜装備するようなもんじゃない?えらいよ…万全すぎるよ…

なんかでも髪を青くしたためか、ダル着で出かけるとドン・キホーテのテーマがどこからともなく聞こえてくるようなビジュアルになってしまう。なのできちんとしないといけないんだけど、もはや同じ服しか着ていなさすぎて「きちんと」ってなんなのか、今まで何を着ていたのか、まったくわからなくなってしまった。ああ、もうわからない。正しい生き方がわからない…

まあ誰に見せるわけでもないんだから、何を着てたって大差はないような気がしますが…きれいに見てほしい人だけにきれいに見せればいいよね…

 

最近ポジティブ不登校みたいな男の子が話題ですが、その子に対して13歳の男の子が言ってた「学校は人間関係を学ぶところだから行った方がいい」というコメントに対して、感じ入ってしまいました。ほんとだよな、忘れてたよ。いや、大学はもはや人間関係を学ぶところではないと思うけど。

見た目的に人種が違うなと思う人に対しては喋る前に心のシャッターが下りてしまうので、高校の時ほど「初めまして、仲良くしよう」というマインドで話せない。「とりあえず今は場を持たせよう」になったり、「面倒だから大人しい人になっておこう」になってしまう。

ああ、わたしって人とうまくやれないんだな~と思ってたけど、大学はそもそも小中高ほど他人と長い時間を一緒に過ごさないから「頑張って仲良くしなくてもいっか」って思っちゃうし、授業で同じでも授業外に長い時間交流することはないから相手のおもしろさに気づけなくて、そういうタイプの違う友だちと仲良くする機会がないだけかもしれない。だから『中学や高校はいろんな人がいて面白いし、タイプの違う人と仲良くなるチャンスだよ』みたいなことを、大人は言ってたんだなあ。

サークルの人と仲良くできるのは、授業外で交流があって、授業内容っていう余計な障壁なしに相手の人間性を感じられるからなんだな。確かに真面目な法律の話を延々議論するだけの相手には、いくら喋っていても面白味も見えてこないし興味を持てないよなあ。

そう思うと、本当は能力があるのにタイミングや環境のせいでうまくいかないという経験をきっかけにして、苦手意識がついて自信を失くすことが人にはたくさんあるような気がしますね。最初から不得手なことを「できない」と認識するのはさておいても、元々できたことなのに些細なことで落ち込んで「できない」認定するのはもったいないことだなあと思った。他者からの評価と自分の評価ってまた違うので、他人から見たらできてないこともまたたくさんあると思うけど…最近は喋りすぎるのが難点…

 

今日はそんな話でした。大した話でもないのに時間をかけすぎてしまった。原稿書いてブログ書いてたら1日終わる…原稿も含めると毎日4000字くらい書いてるの、気が狂っているとしか思えないけど、うまく喋れない日でもブログではうまく喋れる。これはまさにライフワークですね。ではまた明日。