リーダーの仕事

こんばんは。死にそうなほどに眠い…最近やることに追われていてしんどいけど、やることに追われているときほど学校にちゃんと行っていて偉い。でもそろそろ仕事を落ち着かせて本をゆっくり読んだりしたい。明日図書館で気になる本を探して、日曜日のバスでは本を読もうかな。陰鬱な話が好きなんだけど、陰鬱な話を見聞きすると本格的に落ち込んでしまう。想像力が豊かすぎるので…

すぐに悪い妄想・心配をしてしまうのは想像力の豊かさの最たるものだと思う。幼稚園か小学生くらいの頃、いつも「こっそり知らない強盗が入ってきてわたしたちを殺したらどうしよう」みたいなことを考えてよく布団の中で泣いていた。想像力がたくましい…

引き寄せの法則」によると「しょっちゅう悪いことを考えているとそれは現実になる」という話だけど、家族以外の車に乗ったり飛行機に乗ったりするたびに毎回事故るイメージがよぎるものの、実際それを意識してから事故ったことはないので、ぶっちゃけ眉唾ものである。我が家に強盗が入ったこともない。

正直なところ、イメージしてようがしてまいが、事故るときは事故るし事故らないときは事故らない。とはいえ車での年間死亡者数が3500人くらいであること・日々走っている車が無限に思えるほど多いことを考えると、仮に事故に遭っても無傷であったり命は助かるケースというのも多いんだなと思う。まあ、いずれにせよバスに乗る度に非常口を確認するとか車では後部座席でもシートベルトをちゃんとするとか、そういう積み重ねが大事だな。

 

今日は『就職におけるあなたの強み診断』みたいなのの結果が返ってきた(実はずっと前から見れたらしい)。

就活における自己分析では「経験⇒考察⇒アウトプット」が大事らしいんだけど、わたしがやってきたブログを書く作業ってまさしく経験を考察してアウトプットするみたいな話ばかりだったので、あ~身になっててよかったなあ~と思いました。診断結果、思考力の偏差値めっちゃよかった。今は眠いのでIQ2ですけど…

でも自己評価のところとことん低くて、潜在的に(?)そんなに自信ないんだなあと思ってげんなりしました。別に自信満々マンと思ったことはないけどそこまでとも思ってなかった。いつまで生徒会を引きずってんだよ。

悪しき思い出と折り合いをつけるために、感情は別にしてとりあえず今までやったことを頑張って捻り出す必要がありますが、今日は眠いのでやめておきます。もっと落ち着いて紅茶でも飲みながらやろうじゃないか…

「続ける能力」や「対人関係をうまくやる能力」、「長期的に計画を立ててそれをやり遂げる能力」「やりたくないことも我慢してやる能力」「新しいことに挑戦する能力」がわたしには薄いなあと思っているんですけど、単に続けるだけでいいならブログは続いてるんだから、何をしても続かないってわけでもないですよね。考えてみれば別に前のバイトも1年くらい続いてたし、そこはもう少し認識を改めてもよさそう。

なんだか漢字検定みたいにはっきりと成果が見えるようなものでもないので、能力って難しいですよね。テストの形をとることで半ば数値として可視化はされるけれども…

「当たっている」と思う一方で、自分に対して負のバイアスがガンガンかかっているとも感じるので、他人から見た評価は必ずしも一致しないんだろうな、と思いました。わたしは自分であてはまるかあてはまらないかを選ぶタイプのやつでいつも自信のない回答をしてしまう。

自分で自分を型にはめて思い込むことで可能性をガンガン狭めているんだろうなと思うと、なんだかもったいないですね。もっと捨て鉢になるような、「残りの人生消化試合」と思えるような衝撃的な出来事でもあれば話は別なんですけど…

まあでも、結局のところそういう自分に満足してるんじゃないかなあとも思っちゃう。だって本当に不満足ならとっくに改善しているでしょう。ちょっと足りないくらいがちょうどいいんだよ、ということにして、努力を面倒がっているように思う。見た目のことだってそう、「足るを知るだよ」とかいって、もっとやれることはたくさんあるだろうけどやってない。DJも旅行も「やりたいな~」と思いつつやらないのは、真にやりたいと思っていないからでしょうね。うち、ほんとにやりたいことは割とすぐやるし買いたいものはすぐ買うしな。お金を払えば手に入るものばかりだからですけど。

 

これまた批判的思考力みたいな話なのかもしれませんが、診断結果の中に「あなたに今できること:不得意な科目を頑張ってやること」という文言があったんだけど、「ほんとか?」と思った。

それぞれの適正にあった仕事を割り振ってワーカーの成果を上げやすくする・働きやすくする(=それによって生産性向上を目指す)のが管理職の仕事だと思うんですが、それを考えると「不得意な科目を頑張ってやる」というのは大して意味をなさないんじゃないかと思ってしまいます。

いや、多角的に見れば意味はあります。

「不得意な科目を頑張ってやる=苦手なことにも臆さず取り組むようになれる」

「苦痛に耐えながら頑張ることでストレス耐性がつく」

「不得意な科目をどうすれば得意にできるか?という問題解決のための思考を育てる」

とか、そういうことなのかもしれないので、必ずしも意味をなさないということはないと思います。

でも本来「問題解決のための思考を育てる」以外の2つは、管理職の采配でどうにもできることですよね。これって、社会では管理職が仕事を放棄してワーカー側に「俺の仕事?知るか!お前らが自分のスキルでなんとかしろ!」とぶん投げますよってことなの?と思ったけど、実際のところ、世の中そんなに有能な管理職ばかりではないということでしょうね。うちも生徒会の時、誰が何に適しているとか考えたこともなかったし(というか、彼らに何が向いているのか全く分からなかった)。苦手でも自分の力で何とかするしかない場面があるということなんだと思います。

管理職と書いたけど、要はリーダーのやるべきことですね。おれは実際に管理職が何してるのか知らん。とりあえずわたしはワンマンタイプなので管理職には全く向きませんね…一人で一から十まで全部やるのが一番向いていると思います。それで暴走して先輩に精神的にボコられること多々ありでしたが…ああ…精神不和~~

 

生徒会のこと思い出すのは苦しいけど、「苦しい」というレッテルを張らないで無理やり記憶を引きずり出して中学高校で得たものをサルベージしたいですね。近日中にやろう。今日は眠いので、おやすみなさいませ…(乱文ですみません…)