孤独

https://silent-yakitori.hatenablog.com/entry/2019/03/28/023618

ここから紆余曲折あり、今日入籍したそうだ。

わたしは彼女の人生に2mmくらいしか関わっていないように思うので、わたしが深い感慨を得るのも変な話だけど、友人の名字が変わるっていうのはかなり変な気分だ。そしてうれしい。わたしにも「結婚=幸せ」という概念があるんだな、と思った。

結婚は素直にめでたいことだし、お祝いの気持ちでいっぱいだけど、幸せなことばかりではないだろうとも思うし、「お幸せに」しか言えない自分も歯がゆかった。でも彼女の生活のことを0.1mmくらいしか知らないわたしには、「お幸せに」以外に言える言葉がなかった。「ちゃんと幸せになるよ」と彼女は言ったが、ちゃんとした幸せって、なんだ。幸せってそもそも、なんだ。そういうことを思った。結婚おめでとう。

思えばうちの母親が結婚したのも21か22かそのくらいだ。来年には結婚して再来年には子どもがいるなんて考えられない。ん?22で結婚して22でうちを産んだんだったか?もうわからなくなってしまった。何か大きな決断をできる勇気、わたしにもあるだろうか。

 

仕事をセーブしてまだ初日だが、収入が大幅に減っても許せる…と思うくらい和やかに過ごせて良い。むやみに夜更かしをする必要がないし(もう十分遅いけど)、「また明日やろーっと」にできるのはうれしい。作業量が変わらないとしても、「休んでも平気」と思える気持ちの余裕がかなり大事だ、と感じる。とりあえず今月は外でのお仕事があるので、たおやかに過ごそうではないかという気持ち。本を借りてきたのになんだかんだ読まずにブログを書きだしてしまうなあ。とてもおもしろそうな本なので、ちゃんと読み切って返したい。

 

先日の川崎の事件について色々と話題になっているけれど、あれは本当に胸の痛む事件だった。わたしはどうにも犯人を純粋な加害者とは思えなくて、やるせなくなる。犠牲になった人々を思うと無論悲しいし、ニュースを見て当事者でもないのにしばしばつらくなる。

だけど彼の抱えていた孤独を思うと、犠牲者への悲しみと同じくらい悲しい。マスコミが作り上げた虚像を見ているだけかもしれないけど……

 

彼の行為は、彼がおかしかったから・彼がダメな人間だったから行われたものではないと思う。確かに子どもを襲って自らも死ぬというのは、傍から見れば常軌を逸した行動だ。

でも、人間は常に環境の中に生きていて、環境によって人格が形成されていくものだろう。仮に他者と関わらず生活していても、「他者と関わらない環境」の中で生きることは、『関わらない』という方法で他者と関わっていることになると思う。家にひきこもってたって騒ぐ子どもの声や車の音や、そういうものを見聞きして、自分とは関わらない"他者"、自分を避けていく"他者”を実感し、より孤独が色濃くなるんじゃないだろうか。

 

クラスでほかの人々がみんな楽しく騒いでいて自分だけ一人ぼっちの時、机に突っ伏してイヤホンを突っ込んで世界から隔絶されようとしても、物理的な殻は生まれない。顔を上げればクラスメイトの顔が見えるし、イヤホンをとればみんながかしましく騒いでいる。そういう時、余計に孤独を感じていたたまれなくならないか?教室を抜け出して真に一人になりたい、そんな経験、ないか?わたしは彼がそんな暮らしを50年、物心ついてから数えるならば40年近くもずっと過ごしてきたんじゃないかと思って、想像でしかないんだけど、やるせなくなる。

つまりは彼自身ではなく、彼自身を形成した環境に問題があったのであり、だから彼のことを欠陥品だとか不良品だとか形容するのは変で、彼を救う何か/誰かがあれば、いれば、彼はこうならなかったんじゃないのかということを言いたい。

だけどわたしの周りにも同じように孤独感を抱えている友人はいるのに、わたしは彼に手を差し伸べていない。触れるのが怖いのだ。わたしもまた他人の孤独を深めることに加担している、と思うと、なんだか許されないような気持ちになる。その事実を正対して受け止めないと、と思うんだけど、あまりにも質量が大きい。わたしはどうあるべきなのか、わからない。

 

犯人を狂人と思う人は、「おれ/わたしはだめなやつだなあ」と落ち込んだり、孤独に苛まれたりするようなことが、人生で一度もなかったんだろうか。あまりにも孤独の質量が違いすぎて想像がつかないんだろうか。いや、わたしがしているのも想像でしかないし、妄想にすら近いかもしれない。何か叩くものがほしいだけの人たちが世の中にはたくさんいるように思えてしまう。

 

はあ、わからなくなってしまった。これは社会全体の問題だと思う。わたしは今何をすべきなんだ。友人に手を差し伸べるべきなのかもしれない。でも、誰かに手を差し伸べれば、最後まで手を握り続ける責任も生まれると思うと、安易に手を差し伸べることを躊躇してしまう。

わたしが浅はかな気持ちで手を差し伸べて、向こうから伸びてきた手を怖がってひっぱたいてしまったら、きっと相手はすごく傷つき、余計孤独に追い打ちを掛けてしまうだろう。だけど彼もその周囲の人々の怖れの中で孤独を強めていったんじゃないだろうか。

わたしはその友人が人を刺すと思っているわけではなくて、でも寂しいって思ってる人がいるなら寂しくないようにすれば、みんな楽しくなるじゃないか。ただそれだけの気持ちなんだけど……眠くて頭が回らないのもそうだけど、何もわからなくなってしまった。とにかく相容れない者を切り捨てるような考え方だけをしていたら、いつか自分が切り捨てられる側になったときしんどいよ、ということを、おれは思ったのだった