一人っ子同盟

このところSNSを見る時間がなくなって暇なので、本を読むようにしています。今日はずっと気になっていた重松清の「一人っ子同盟」を読みました。

幼い頃に兄を亡くしたノブ・母子家庭だったのに母が再婚して急に父親と弟ができ、反発するハム子・赤ちゃんの頃に両親を亡くして親戚の家をたらい回しにされ、嘘をついたり物を盗むことで周りにかまってほしがるオサムの3人の小学生が、大人の事情の間で揺らぎ、振り回されていく話です。全員一人っ子で、当時『同盟』って言葉にハマっていたクラスメイトの山本くんが、ノブに対し「(家族構成などが書かれたクラスの連絡表を見て)一人っ子なのお前とハム子だけじゃん!一人っ子同盟だな!」と言ったのが、一人っ子同盟の始まり。オサムだけ4年生(他は6年生)で、途中から転校してきたんですよね。

わたしも一人っ子なのでこの本ず~~~っと気になってたんですけど、思ってたよりもずっと重い話でした。3人のステータスだけ並べて見ると「小説然としている」という感じがあるかもしれないけど、結構現実的というか、人間ドラマ的というか、そんな感じでした。語彙力。

小学6年生って今傍から見てるとめちゃくちゃ子どもだけど、思っているよりも大人びている部分もあり、かといってまるっきり大人なわけではないので、やっぱり反発してしまう部分もあって…自分が小学生の頃は大人に対して「自分たちも子どもだったのになんで子どもの時のこと忘れちゃうんだろ」って思ってたけど、めちゃくちゃ忘れるんですよね。わたしは特に昨日のことすら危うい感じなのでより一層…なのかもしれませんが、まあ忘れる。「わたしも小学生の時ってこんな感じだったのかな」と思いました。言葉遣いの雰囲気とかはちょっとわかるな~と思った。でもハム子、そんなに辛辣じゃなくても…とは思ったな。実はかなり優しいんですが。

舞台は高度経済成長期の東京の団地なんですけど、本の中の子供たちはみんな外に遊びに出ていたし一人で留守番することを嫌っていて、なんだか新鮮でした。わたしが鍵っ子だった時はパソコンが友だちだったので、「早く家に帰ってニコ生(視聴)とチャットがやりたい!」って、そればっかりでしたね。友だちに遊びに誘われても適当に断ってチャットやることさえありました。ひどい…

ゲーム・パソコンは1時間の約束だったので、とにかく早く家に帰って母が帰ってくるまでの2時間くらいの間に遊び始めて、帰ってくる予感がしたら終わらせて、帰ってきたら改めて「まだパソコンしてませんので」という顔をしながら1時間する…みたいな暮らしを毎日してました。「明日世界崩壊する!」みたいな噂を信じて夜中の3:00までチャットしてたのに全く崩壊しなくて、めちゃくちゃ父親に叱られたことがあります。情けない…でも高度経済成長の頃はテレビゲームもないので(実際作中では屋内だと人生ゲームとか野球盤的なのとかで遊んでいる)、そりゃひとりで家にいても寂しいですよね。本を読むかテレビ見るかくらいしかないしなあ。

この本の舞台になってる時代より今はずっと一人っ子が増えたと思うけど、でもやっぱり「一人じゃ寂しいでしょ」って視線に晒されることは昔からあって、「勝手に哀れむんじゃねー」と思ってました。生きてきた中で一人を寂しいとも損だとも思ったことはないけど、逆に「兄弟がいる環境」ってのが全く想像できなくて、最近になって兄弟がいる友だちに「兄弟ってどんな感じ?」としばしば聞き取り調査しています。大体、「いてよかった」か「どうとも思わない」。いない方がよかったって言う人はあんまりいないんですけど、それは単純に、兄弟がいない状態っていうのを想像できないからかな、と思います。まあ、親類を「いない方がよかった」なんて言うのはそもそもあまりよくないことなので、そういうことかもしれません。

でも祖母とかを見てると、今は寂しくないけど、自分が沈んだ時にハッパかけてくれる人って旦那子どもがいなければ兄弟くらいしかいないので、そういう意味で、将来自分は寂しい思いをするのかもな、とは若干思います。

 

なんだかこのところ真剣に勉学に向かっている人・あるいは勉学に向かって成果を得た人の話を聞くことが多くあり、勉強っていいなあみたいな気持ちになっています。学問の話って人を傷つける要素が少なくて、すごくセーフティだし、面白いんですよね。対立すればヒートアップすることもあるんでしょうが。

なんとなくそれなりに就職して結婚するのが自分の人生だろうと勝手に思っていたけど、結婚なんかよりもっと追い求めるべき大事なものがあるんじゃないかと思い始めて、ちょっと人生に迷っています。『なんかより』というわけではないけど、もっと勉強したい!みたいな、そんな気持ちかな…。勉強したところでそれを生かした職に就きたいとも思わないし、悩ましいところなんですが。自分の人生の選択を自分でするってことを、してきたようでしてきていない気がする、ので、ターニングポイントに立たされているなあと感じます。取り返しのつかないことなんてそう多くないと思いますけどね。女性として生まれたことに後悔というか、あ~あと思うこともありますが、女性でないとできないであろうこともきっとあると思うし、その点で、うちにはやるべきこと、やれたら楽しいこと、色々あるんじゃないかなあと思うんですが…。何の結論もない話なので、ここら辺にしておきます。今日DVに関する弁護を多く行っている弁護士の先生の授業を聞いてきたんですが、結構ジェンダーの話題を取り上げる授業のようで、昨日のことも相まってか、男性の先生がジェンダーについてきちんと考えているという事実になんだか感激してしまいました。なんというか、希望ですね…

そんなところです。まとまりがなくなってしまった。また書きます。では。