生きるのが怖いよ~

 最近、仕事が究極につまらない。根本的にうちの部署はかなり暇で、去年は他のプロジェクトとか色々参加してたからそんなに暇って感じしてなかったんだけど、色々嫌な思いをして「今年は参加しない」と決めてからは、物凄く暇。やることがない日っていうのはまあないんだけど、どれもこれも「別に今日やらなくてもいいこと」ばかりなので、なんとなく手が進まない感じ。まあ、仕事はしてるけど。

 中学・高校と生徒会をやってきて、社会における労働と生徒会活動を同一視していたっていうか、「生徒会活動が好きだったんだから仕事も好きだろう」みたいに捉えていた節があって(今思うとどういう理論なのかわからんが)、デキ婚で私を産んでずっと専業主婦だった母と対比して「自分はずっと働いて稼いで他人の財布に頼らなくても生きていけるようにするぞ・バリバリ働くぞ」と意気込んでいたんだけど、いざ働き始めると「仕事って別に楽しくないな、うちも子どもでも産んで辞めようかな」と思い始めてたり、仕事の中でもどんどん楽をしようとする自分を目の当たりにして、「ああ、自分は別に仕事が好きなタイプではなかったんだな」と思って、自分に対してショックを受けている感じがある。最初は信条を持って働いてたけど、「社会人、結構適当だな」って気づいて、「適当にやってても同じ額貰えるんだな・そもそも大したことしてなくても別に会社にいればお金は貰えるんだな」って思い始めてからはもう、頑張る気を失ってしまった。だけど頑張ってない自分も嫌で、どうしたら良いのかよくわからなくなる。配置転換してまで移りたい部署もないし、いばらの道だと分かっていてもよそのプロジェクトに参画していくしかないんだろうか。あの時「適当だな」と見下げた人たちと同じ勤務態度になっていることが恐ろしい。これが順応なのかなという気もするけど、若いうちからこんな感じで本当に大丈夫なんだろうか、と思う。自分は正直「楽してお金もらえるなら万々歳じゃん」派なので、やりがいを求めて転職とかそんなことは考えてないし、一生今の給料でも全然いいな~と思うので出世したいわけでもないんだけど、人間として、こんな感じでのんべんだらりと自堕落に生きていてこの先大丈夫なんだろうか?人間性がどんどん終わっていくのではないか?という漠然とした不安がある。まあでも、考えてみれば人間性終わった人間なんてごまんといるだろうしな。出世してる人たちの人間性が優れているかと言われると別にそんなこともないと思うし、そう考えるとあまり気にすることないのかもしれない。下っ端でも上層部でも終わってる奴は終わってるし終わってないやつは終わってないのではないだろうか。自分は「終わらないようにしよう」と心がけておけばいいだけなのでは。わからんけど。そもそも、「人間性が終わっている」というのはどういう状態を指すのかもよくわからない。

 まあしかし、何においても「”若い女”性」をふんだんに使って生きているな、と思うから、”若い女”性を失った時が本当に恐ろしい。あと女の集団の中でどう振る舞ったらいいかよくわからないの、「"若い女"性」でごまかせないからだなと思う。おじさんたちと接している時は若い女なのだから「え~ウケる~!」ってゲラゲラ笑って楽しそうにしておけば良いんだけど、そうじゃない時は一体どのように振舞ったらよいか全く分からなくなってしまう。

 まあでも、色々思うところはあれど、毎日朝起きて会社に行っている時点で既に偉いな。うん。それはガチでそうだな。そう思うことにしようと思う。色々あるけど、人生は楽しい。前は「なんでこんなところに来ちゃったんだろう」と思うことも多々あったけど、最近は良いところだなと思う。海でのんびりしたりベランダでのんびりしたり、自然が豊かで、のんびりしたい人にはもってこいだなと思う。自分は自然が好きなので、最近は性に合っているような気がしている。見たいと思っていなくても、いちいち良い景色が見られるというのは精神衛生に良いと思うんだよな。まあでも、隔絶されている感はやはり少し寂しい。平気な顔しているけど、家で一人でいる時は慢性的に少し寂しいな。彼氏と一緒に住もうかなと最近思い始めてるけど、多分寂しいんだと思う。